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目指すはハワイ真珠湾

明けて22日、T中さんはもう1日マウイに滞在する。今日は地元のサイクリストたちと走るため、0630に出発して行った。来年のツール・ド・美ヶ原での再会を期した。私とK村さんはホテルの送迎バスでカフルイ空港に向かった。帰路はハワイアン航空で、自転車を運ぶのに$25も取られた。往きのアロハ航空はタダだったのになぁ。もっとも、後で運送(うんそう)約款(やっかん)を見たら、アロハ航空が取り損なっていただけのようだ。アロハ航空は座席も乗った順だし、のん気なエアラインだ。大好き。
搭乗を待つ間、ハレアカラをスケッチし、ワイキキ在住の知人、サンディさんに電話した。サンディさんは歴(れっき)とした日本人で、ツアーガイドを生業(なりわい)としている。自分にとってはハワイの母上様的存在である。話せば長くなるが色々と奇妙なご縁があり、親しくさせて頂いている。本日ホノルル入りし、お邪魔させていただくことを伝えた。ワイキキに着いてからまた電話して欲しい由。
1005搭乗。機材はボーイングB717(旧ダグラスDC9、マクドネ

ル・ダグラスMD90系列の機体)で、操縦席の扉が開いていて中が見えた。離陸前の忙しいはずの時、パイロットがチェックリストでも確認しているのかなと覗(のぞ)いてみると、クロスワードパズルに興じていたのにはたまげた。不安を抱えながら離陸した。
一路ホノルルへ。ハレアカラに別れを告げる。あそこを上ったのだ。来た時とはまた違って見えた。同じものでも、心のありようで見え方が異なるものである。

途中モロカイ(Molokai)島の上空を通過し、リーフの美しさに心動かされた。ハワイ諸島は島ごとに表情ががらっと変わり、それぞれに強い個性を感じる。ひとつひとつゆっくり訪れたいものだ。
ホノルルで、日本に帰るK村さんと別れた。空港からワイキキまでは自走も考えたが、帰り支度の慌(あわただ)しさを考えて、乗合バス(Airport Express)を使うことにした。運賃は$8と記憶していたが、いざ乗車してみると自転車運賃に$19も取られた。今日は自転車だけで$44もの痛い出費である。
昼過ぎにホテルに着くと、幸運にもチェックインさせてくれた。部屋に荷物を放り込み、サンディさんに電話するがあいにく不在だった。早々に自転車を組み立て、サイクリングに出発。ワイキキを自分の自転車で走る。これも前々からの夢で、またひとつ叶った。
最初の目的地はワイキキのはずれカパフル(Kapahulu)通りにあるオノ・ハワイアン・フード(Ono Hawaiian Food)。ここはその名の通り伝統的なハワイ料理を出してくれるので、文化に興味ある方にはお勧めである。「オノ」とはハワイ語で「美味しい」の意。ここのカルーア・ピッグ(Kalua Pig)とラウラウ(laulau)(蒸した豚肉と野菜)はジューシーで「オノ」だが、いくら食べても減らないのでお試しの際はご注意を。それから、ポイ(Poi)というタロイモをすり潰(つぶ)したものはオススメしません。エスニック好きな私でもこれだけは口に合いませんでした。
苦しいお腹をぶら下げ、住宅地を東に進む。1440にはダイヤモンドヘッドに行き、初めて登ってみた。近くで見ると思ったよりも小さい山で、ガイドブックには1時間半〜2時間かけて登ると書いてあったが、早足で登ったら40分足らずで山頂に着いてしまった。山岳部顧問の面目(めんもく)躍如(やくじょ)。ワイキキ以西、真珠湾方面もよく見える。この空を日本の飛行機が跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)した日があったのだなあ…と、約65年前に思いを馳(は)せた。簡単にスケッチし、細かいところはカメラに覚えさせて下山。ちょうど1時間の滞在だった。
景色の良いところで写真を撮ったりしながらなおも東進し、快適なサイクリングは続く。ハワイカイ(Hawaiikai)のスーパー(またもやフードランドだった)で水を補給し、1700には奇観ココヘッド(Kokohead)に到着、指呼(しこ)の間にあるハナウマ湾(Hanauma Bay)を訪問する。ここは入場制限の関係から車で来るには不便で、自転車は正解だった。新婚旅行でサンディさんに連れてきていただいて以来であるが、湾の美しさは相変わらずだ。
帰り際に公衆電話でサンディさんに連絡を入れると、夕食を用意してあると云う。毎度のことで申し訳無く思うが、図々しくも有り難くお受けすることにした。サンディさんの手料理はハワイにいることを忘れさせてくれる美味しさなのだ。
戻る途中、カハラ・モール(Kahala Mall)に寄る。ここも以前サンディさんに案内してもらった思い出の場所。また咽(のど)が乾いたのでコーラのMサイズを買ってみたが、これまた非常識な大きさの紙コップ。思わず手持ちの500mlペットボトルと比べてしまった。すっぽり入りそうな大きさ。Mサイズと云うたのに、もう、米国ったらなんでこうなのかなぁ!プンプン。ちなみにこのお店はクッキー屋さん。クッキーとコーラの取り合わせもいかがなものか。まこと理解に苦しむ。

沈む夕陽に照らされて

ダイヤモンドヘッドを違った向きから眺めたくて、帰りは海沿いをワイキキに向かった。追いついてきたトライアスリートに声をかけられたので言葉を交わす。かくかくしかじかで今日はクールダウンだ、と云ったら、お疲れさん、といった感じ。日系人らしい彼は、後ろから合流してきたロードレーサーと先行していった。こちらは、のんびりのんびり流して異国情緒をじっくりと味わった。
太陽もだいぶ傾いてきて、夕陽に染まるダイヤモンドヘッドと、ワイキキの夕焼けを堪能(たんのう)した。嫌(いや)味(み)なほど絵になる。
拝啓御無沙汰しましたが

陽も暮れて、1900ちょうどにサンディさん宅着。以前はハワイ大学そばにお住まいだったが、引っ越し先はワイキキの中心に程近く、プールのある高級マンション。ご主人も交えて3人で美味しい料理とお酒に舌鼓をうつ。お会いできなかった間の話や昔話に花を咲かせていたら、愉快で素敵な時間はあっという間に過ぎてしまった。またハワイに来たら絶対連絡頂戴との有り難い言葉を頂き、もちろん喜んで了解した。後ろ髪を引かれながらサンディさんとお別れした。
自転車のパッキングなど片付けと出発の準備をしながらハワイ最後の夜は更けていった。

走行記録:距離42km・時間2時間4分・平均速度20.3km/h

拝啓御無沙汰しましたが

陽も暮れて、1900ちょうどにサンディさん宅着。以前はハワイ大学そばにお住まいだったが、引っ越し先はワイキキの中心に程近く、プールのある高級マンション。ご主人も交えて3人で美味しい料理とお酒に舌鼓をうつ。お会いできなかった間の話や昔話に花を咲かせていたら、愉快で素敵な時間はあっという間に過ぎてしまった。またハワイに来たら絶対連絡頂戴との有り難い言葉を頂き、もちろん喜んで了解した。後ろ髪を引かれながらサンディさんとお別れした。
自転車のパッキングなど片付けと出発の準備をしながらハワイ最後の夜は更けていった。

走行記録:距離42km・時間2時間4分・平均速度20.3km/h


しばし別れの涙が滲(にじ)む

翌朝、眼がショボショボすると思ったらコンタクトレンズをしたまま寝ちゃったらしい。すると電話のベルが鳴った。サンディさんからだった。あらためて、家族によろしく、気をつけて帰国して欲しいとのことだった。その言の葉は短きも、暖かい心遣いにこみ上げるものがあった。
出発までにはまだ時間がある。今回は夏のハワイでありながら、一度も海に入っていなかったのでワイキキで泳ぐことにする。というより浸かる。もはや義務感のようなものだった。
そろそろ帰る時間がやってきた。ドア・マンにタクシーを頼んだら、大荷物があったのでリムジンを呼ばれてしまった。小市民ゆえ長〜い客室を持て余しつつ空港へ。
ホノルル空港では航空関係の展示をゆっくりと見た。家族連れではなかなかこうはいかない。真珠湾攻撃の真っ最中に飛んでいたという伝説的な民間機の展示が一番印象的だった。そこらに置いてあるエンジンもまるで工芸品のよう。単一機能に特化した機械は本当に美しい。そういえば、いつだったかヒステリックに叫ぶ人を見た。
「戦闘機は人殺しの道具ですよ。それでも格好よく見えますか?」
カチンときた私(もちろん大(だい)の飛行機好き)は立場上、大人気(おとなげ)ない行動をとるわけにもいかない事情があったので、心の中で答えた。
「格好いいに決まってる!」
そもそも性能や機能の的(まと)を絞(しぼ)った道具は美しい。なぜならそこには無駄のないフォルムだけが残るからだ。人殺しの道具はその最(さい)たるものである。世に銃砲や刀剣マニアがいるのも真(まこと)に頷(うなづ)ける話なのである。ましてや航空機は空中を飛ぶといった特殊機能を持たねばならない。現実的な速度域での飛行には流体中を滑らかに進むための流麗(りゅうれい)な線が必要で、格好悪いわけがないのだ。このような主張を否定するのは狭量(きょうりょう)というものだ。自分と異なる意見は圧殺(あっさつ)する、危険な匂いさえ感じられた。
閑話(かんわ)休題(きゅうだい)。搭乗口へのコンコースでは日系プロ野球選手ウォーリー与那嶺(よなみね)の足跡を紹介したパネルと、ユニフォームなど縁(ゆかり)の品々を展示してあった。今の生徒は知らないだろうなぁ。私でも中日ドラゴンズ監督の記憶しかない。
最後の食事は日本を撤退したバーガー・キング(Burger King)でとり、あとは帰るだけだ。待合室に入り、搭乗案内を待つ。待つ。…待つ。ここで場内放送。
「1310離陸予定の○○航空079便は機材整備のため遅延します…」
ここでお詫(わ)びに空港内利用可能なミールクーポンが配布された。もうお昼ご飯済ませちゃったしなぁ…などとは悩まない。レストランでハンバーガー(ハンバーガーショップとは違うのだよ)を注文。べらぼうな大きさにのけぞりつつも平らげる。もう米国ったら(以下略)。
1500過ぎ、漸(ようや)く搭乗したもののエンジンスターター故障で機内に1時間半も缶詰にされた。泣いている赤ちゃんがかわいそうだったが、自分も泣きそうだった。結局3時間40分遅れで出発。積乱雲を避けながら飛行し、なんとかその日のうちに生還した。

筆の運びは拙(つたな)いが

幸いにも、私は親から必要以上に丈夫な身体を賜(たまわ)り、必要以上に理解のある家族に恵まれた。そして、様々な便宜(べんぎ)をはかり、応援してくださった各方面の方々(かたがた)のおかげで、無謀(むぼう)とも思える大会出場及び完走が実現した。この場をお借りして御礼申し上げます。さらに、この拙文のために快くお写真を提供してくださったアロハ・バイク・トリップの河村様はじめチームジャパンの皆様、大会関係者、サンディさんご夫妻、いつもご多忙にもかかわらず微々(びび)たる賄賂(わいろ)(今回は自衛隊航空観閲式(かんえつしき)の生写真)で完璧な文章添削(てんさく)をして下さるT萩さんに感謝の意を表して、結びとしたい。

まだ進撃はこれからだ

懲(こ)りずにもうちょっとだけお付き合いを…。

余談その一:
この翌週の日曜日、「全日本マウンテンサイクリングin乗鞍」に出走した。旅の疲れもあり、無理をせずに登ったつもりだったが、結果は1時間15分台の好タイム。
「あれ、もう終わり?」
という感じで、とても短く感じた。何事も予(あらかじ)め辛(つら)い思いをしておくものだ。図(はか)らずもサイクル・トゥ・ザ・サンが乗鞍3本分であることを証明した。

余談その二:
その後、怪しいのや怪しくないのや、沢山の英文電子メールが来るようになった。中に、こんなのが紛れていた。
「ラン・トゥ・ザ・サン(RUN TO THE SUN)に出ませんか?」
同じコースでマラソンするという。
沸々と闘志が湧いてきた


…わけはないので皆さんご安心を。おしまい。

 
         
   
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