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けふのこの日のある待ちて

8月21日日曜日、レース当日。0430起床。さすがにすっきりと目覚め、着替えながら食事を済ませる。ホテルの前で記念撮影をし、出陣。まだ真っ暗なので、いくらか遠回りながらもまばらに街灯のある幹線道路を使ってパイアに向かう。お月さまとオリオン座に見守られながらのサイクリングだ。スタート地点に着いた頃、空が明るくなり始めた。黎明(れいめい)の空は紫、桃、橙色の織り成すグラデーションが幻想的だ。
徐々にハレアカラも姿を現し始める。ゆるやかな稜線が、糸を引くように滑らかに視界の両端を結ぶ。快晴無風、最高のコンディションだ。



選手はもう集まり始めており、自分も出走サインをすると、トライアスロンと同様、脚に「444」と大きく記入してもらう。チームジャパンの面々も既に揃(そろ)っており、健闘を誓い合う。スタートが近づき、軽くウォーミングアップ、アミノ酸飲料を飲み、小用を済ませる。レース前の儀式はこれで終了。レースのレベルが不明なので、スタート地点では控えめに4〜5列目に陣取る。手持ち無沙汰でふとポケットに手を伸ばすと、日本で母が持たせてくれた梅干があり、1個頬張(ほおば)った。



あがるぞ翔(かけ)るぞ迅風(はやて)の如(ごと)く

時計が0700を指した。決して多くはないがギャラリーの拍手に送られて整然とスタート。先は長いので、大半の選手は落ち着いて自分のペースで走り出す。しかし好記録を狙う先頭集団はそうはいかない。最初からハイペースだ。一般に自転車レースでは集団の中に入って走るのが有利である。風をよけながら走れば、体力を温存できるからだ。私は、行けるところまで先頭集団についてゆく作戦を立てていた。そうすれば途中でちぎれた(集団から置いていかれることをこう表現する)としても、十分なタイムアドバンテージを得て、好記録で完走できると踏んだからだ。
するするっと前方に出て、10番手ぐらいに位置する。が、とてもこれから3000m上ろうとは思えないほどペースが速い。上り坂なのに27〜8km/h出ている。ちょっと傾斜が緩くなり、平坦に近くなるとスピードは40km/hになる。遅れまいともがく。するとペースがやや遅くなる。ほっとしたのも束(つか)の間、またペースが速くなる。この繰り返し。先頭を見ると、エリート(プロまたはセミプロ)と思(おぼ)しき選手が独りで引いている。昨年の優勝者のようだ。集団を揺さぶって、弱い選手をふるい落とそうとしているのだろう。選手が1人、また1人と脱落してゆき、トップ集団はだんだん小さくなってゆく。余裕のあるレースだと、落車に巻き込まれないためにもっと前の方に上がったり先頭交代に加わったりするのだが、現在の位置約10番手をキープするだけで精一杯だった。そんなとき、チームジャパン応援団の車が追い越しざま声援を送ってくれた。辛かったが、元気が湧いてきた。私は自称「三国一のお調子者」である。
  マカワオ・ロデオ・グラウンズからは緩いながらも下り区間があるので、そこまではなんとか先頭集団に喰らいついて行きたかった。比較的体重が軽くて筋力に劣(おと)る自分は、風除(よ)けがいないと下りが極端(きょくたん)に遅いのだ。だが目標の半分、標高300m付近、距離にして5〜6km地点あたりからだろうか、自分も集団から遅れ始めた。ふつう集団内では、前車との間隔は30〜100cmぐらいで走る。それが1車長になり、2mになり、じわりじわりと離れ、まともに空気抵抗を受ける距離になる。それでも集団のペースが落ちるタイミングを利用して何度か復帰した。しかし、必死の追躡(ついじょう)ももはやこれまで、標高400m付近でついに完全に集団からちぎれた。

山(やま)行(ゆ)かば

ここからゴールまで、ほとんど独り旅となった。前走者がいない場合、意識していないと自然に甘えが出てペースが下がってしまう。傾斜がきつくないところでは自身に時速20km/hのノルマを課す。
マカワオ通り先の急坂をえっちらおっちらクリアし、標高600m、11km地点のマカワオ・ロデオ・グラウンズは約34分で通過。平均時速約20km/hは悪くない。ずっとこのペースで行ったら昨年の優勝タイム更新だなぁなどと阿(あ)呆(ほう)なことを考える。ボールドウィン通りから短い下り区間を終えると、脚の疲労を感じるのもむべなるかな。まだこれから乗鞍2本分の上りがあるのに、後先考えずに無理して先頭集団にすがりついていたためだ。行き当たりばったりで、行き詰(づま)ったときはどうにかなるさと開き直るのは私の悪癖(あくへき)である。
ユーカリの樹林に囲まれたローカルな道を2km弱進むと、突然視界が開け、ハレアカラ・ハイウェイ(Haleakala Highway)に突き当ってスムーズに左折した。三叉路には警官がいて、選手が通過するときだけ車を止めてくれた。
ガードレールの外側を見る。1000mも上っていないのに、なんと素晴らしい眺めだろう。西部マウイとの間を遮(さえぎ)るものは清澄(せいちょう)な大気以外に無し。眼下には平野、両側には群青(ぐんじょう)の海。あまりに遠くまで見通せるので、かえってスケール感に乏(とぼ)しい。あたかも神の視点に立ったかのようだ。今この瞬間、自分が地球上の何処に在るのかが余りにも明白である。太平洋に突き出た微小な突起の表面にへばりついている、さらに小さな点。吹けば飛ぶような、それでも微細な運動を続ける点。
勾配は幾分きつくなってきたようだ。手元のGPSと計器の数値から暗算すると、およそ6〜7%だろうか。体力的にはまだきつくないが、走行距離は全体の4分の1に過ぎない。マイペースを守って走る。後方から前に上がってくる選手もちらほら見え始め、何人かに抜かれるものの、ついてはいかない。もう一度無理をして早い選手についていけば、回復不能になる恐れがあると直感したからだ。
標高800m、第1補給所(Aid Station #1)を51分で通過。まだ補給は受けない。ペースを崩すことがあるので、できることなら補給所では何も取らずにパスしたい。そこへ、またチームジャパン応援団の車が追いついてきて、声援とともにビデオや写真を撮ってくれた。さらに沿道には時々民家があり、そこかしこに応援の人がいる。クラの町が近いのだろう。こうして応援されるとつい頑張っちゃうんだよなぁ。この性格もまったく困ったもんだ。
車道右端の白線から内側20cmのところをキープし、ペダルをこぎ続ける。まだ軽いギヤを2〜3枚残している。筋肉にやや疲労がある以外は体調も万全、快調だ。こんなに素敵な環境でまだまだ走れる。至福の境地である。
「距離も高度も3分の1だな。」
クラを過ぎると、漠然(ばくぜん)と思った。スタートから1時間少々経過していたので、3時間30分くらいのタイムが期待できるのだろうか。左折し、クレーター・ロード(Crater Road)に入る。この先は地図で見ると九十九(つづら)折(おり)になっているが、日本の峠道のような急カーブや急坂ではない。米国ったらカーブまで大きいのだ。ホントにもう!プンプン。
この頃から、思考が鈍くなってきた。記憶も曖昧(あいまい)な部分が多々ある。この拙文(せつぶん)はレース直後の朦朧(もうろう)とした頭で記した簡単なメモから起こした脚色(きゃくしょく)の多々ある文章なので、不正確な記述はご容赦(ようしゃ)願いたい。

ほんとにほんとに御苦勞ね

さて、確実に疲労を蓄積しながらも上り続ける。第2補給所(25km地点・標高1200m)に1時間20分で到着。飲料水が乏しくなってきたので、補給所の手前から
「スポーツドリンク、プリーズ!」
とカタカナで叫んだ。言葉なんて勢いがあれば通じるものである。この大会ではドリンクを新品の大会オリジナルボトルに入れて手渡してくれる。参加費が高めなだけあって、太っ腹である。気分転換に早速飲んでみると、不味(まず)い。心底(しんそこ)不味い。スポーツドリンクには様々な種類があるが、これは3つ星クラスの不味さである。
「いや、補給は味じゃあない。水分ならいいじゃないか。」
と自分を励(はげ)まし、気を取り直して食料も補給する。小まめにゼリーを摂(と)っていたが、いよいよ本格的に高カロリージェルの出番だ。
先ほどから、お揃いのウインドブレーカーとヘルメットに身をかためた団体の自転車が、何組も反対車線を下っていく。これはハレアカラ・ダウンヒル(downhill)・ツアー(tour)といって、マウイのオプショナルツアーでは大変ポピュラーなものらしい。大きなバンでお客さんをハレアカラの上に連れて行き、自転車に乗せて下ろすという。参加経験のある友人談によれば、下りとはいえ距離が50km以上もあるので、それなりに疲れるという。彼らはいいスピードで颯爽(さっそう)と下っていく。で、こちらはというと正反対のことをしている。ある種の気○いを憐(あわ)れみとともに見つめる視線が、我々に注(そそ)がれていたような気がしたのは自意識過剰であろうか。
いよいよ高度感が増し、下界が遠くなっていく。さあ、もうすぐ半分だ。と同時に、ここからは未知の領域だ。標高差1300m以上連続する上りは経験がない。淡々と高度を稼ぎ、第3補給所(30km地点・標高1550m)は1時間42分で通過した。
脚の疲労が極限に近い。すぐにでも攣(つ)りそうだ。ある初老の選手に抜かれざま、二言(ふたこと)三言(みこと)交わした。何気なくその選手の足下を見ると、とても軽いギヤをくるくる回している。こちらはといえば、すでに一番軽いギヤ(専門的には前39歯×後26歯)を使ってはいるのだが、くるくるという表現には程遠い。厳しい。もう余裕が無い。勾配が緩いので高をくくっていたが、今となっては甘い考えだった。もう1枚、いや、2枚軽いギヤが欲しい。
苦しみながら第4補給所(38km地点・標高1950m)に到達。2時間12分が経過していた。再びドリンクボトルを受け取る。ここにいたボランティアの女性は、豊満な肉体をビキニの水着に包んでいるセクシーガールと思いきや、そんな柄のプリントされたエプロンをまとっていた。あんまりにも馬鹿馬鹿しいので思わず
「ワオ!グラマー!(Wow! Glamour!)」
と叫んでしまった。お茶目なお姉さんはサングラスの奥からウインクしてくれた。

斃(たふ)るるまでも進めよや

「アウチ!(Ouch!)」
標高約2000mで脚がついに攣った。英語圏に来ると、苦しいときも自然に英語表現が出てくる。環境適応能力に我ながら感心した。それはともかく、激痛が両腿(りょうもも)の上側を走る。筋肉が悲鳴をあげている。クランク1回転毎に痛みが襲う。それでも耐えながらひたすらペダルを踏む。一旦止まってしまえば、筋肉が硬直して再スタートは困難だろう。長く、長く、坂道は続く。しかし、終わらない坂は無いと信じて進み続ける。斜度にもよるが、速度は12〜18km/hに落ちた。森林限界を超え、周囲は火山岩の寂寞(せきばく)とした景色が続く。
ハレアカラ国立公園の入口にたどり着いた。レースは残り3分の1を切った。痙攣(けいれん)はなんとか収まったが、今度は筋肉痛との闘いだ。こんな状態で、日本のヒルクライムレース1戦分を上りきれるのだろうか。過去に参加した富士登山競争、日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ)の後半や、フルマラソンの30km過ぎもこんな感じだったなぁと、苦しかった経験が次々に蘇(よみがえ)る。
第5補給所(46km地点・標高2400m)を2時間50分、第6補給所(50km地点・標高2600m)を3時間10分で通過。飲み物とゼリーを補給し、回復を図る。が、標高2700mでまた脚が攣った。もう泣きたい気分である。高度をかなり稼いだので、下界の美しさが唯一の慰(なぐさ)みである。雲下に西マウイの山塊(さんかい)と遥かラナイ(Lanai)島が望める。ゴールまでの標高差300mを切ると、残りは普段の登坂練習コースである筑波山不動峠と同じ程度の上りだろう。幾度となく走った不動峠の景色を思い浮かべながら、まだこの辺かな、などと思いながら上る。少しずつ、少しずつ、それでも確実にGPSの高度計が3000mに近づいてゆくと、励まされる思いだ。幸い、酸素不足は感じない。

 
         
   
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