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藍(あい)より蒼(あお)き大空に

いよいよゴールが近い。走りながら、持参した日章旗を広げ、ポールにセットして背中のポケットに差す。すると、またまたチームジャパン応援団の車が追い着いてきた。
「背中の日の丸目立ちますね!ゴールに先回りしてます。」
またもや力が湧いてくる…はずだったが、標高2900m地点で三度(みたび)脚が痙攣した。そしてゴールまで癒(い)えることは無かった。
山頂の展望台が見え、山頂直下の駐車場に辿り着く直前、金髪の女性選手に抜かれた。美しいフォームにシルエット、軽快なリズムで遠ざかる。まだまだ余力を残しているのだろう。疲労困憊(こんぱい)の自分とは大違いだ。
あと1km程だろうが、最後の最後で勾配が増し、これでもかと追い討ちをかけられているようだ。大会公式HPには、この辺で最大勾配19%と書いてあった。速度は8km/h。亀の歩みにも似て、なかなか山頂が近づかない。何回カーブを曲がってきただろう?これから何度カーブを曲がればいいのだろう?つまらない疑問が幾度となく脳裏をよぎる。
終わりは、突然やってきた。数百m先に横断幕が見える。
間違いない、ゴールだ。手前には“ELEVATION 10,000ft”の標識もある。日の丸の旗を取り出し、打ち振る。なんと美しく、「太陽の家」にふさわしい旗だろう。このために、日出(い)ずる国の益荒男(ますらお)が遥々(はるばる)やって来たのだ(と云っておこう)。
スタートから56km、3時間40分59秒。艱難(かんなん)辛苦(しんく)打ち耐えて、レースは終わった。
「上出来だ!(Good job!)」
「やったね!(You did it!)」
などと誰もが称賛の声をかけてくれる。心の内で
“Here I am.”
とつぶやいた(こう書くとカッコイイが、本当はカタカナでつぶやいた)。歓喜よりも安堵感(あんどかん)に包まれ、よろよろと年老いたように苦労して自転車を降り、その場にぶっ倒れた。両脚は真っ直ぐ伸びたまま固まってしまった。空が眼にしみるように蒼い。
やっと太陽に辿り着いた。

草むす屍(かばね)悔ゆるなし

すぐさまアイさんが駆け付けてくれた。応援団は駐車場からの徒歩が長くて、ゴールの瞬間には間に合わなかったそうだ。果物を差し出してもらったが、僅(わず)か30cmの距離がとても遠くて届かない。手元まで運んでもらい、ようやくありつけた。その後30分間動けず、うつ伏せのままレース記録のメモをとった。気温は低いが強烈な日差しのおかげで、タオルをかけてもらえば寒さはあまり感じなかった。太陽が近いと実感した。
動けるようになると、主催者の用意したコーヒーやパンで空腹を満たす。後続の選手も続々とゴールインしてくる。あちらこちらに笑顔の輪が広がる。T中さんがゴールすると、こんな 看板もある山頂からの眺めを一緒に満喫(まんきつ)したり、写真を撮ったりした。ハワイ島(Big Island)も望見できる。荒涼たる山頂には珍しい銀剣草(silver sward)という植物もあった。ハワイ固有の高山植物で、現在はハレアカラでしか見られない全滅危機種の一つという。
そうこうしているうちにK村さん、リレーの最終走者河村さんもゴール。皆で健闘を称(たた)えあった。また、“Tokyo JOE’S”の文字を鮮やかに染め抜いたジャージを纏(まと)った米国人に声を掛けられた。日本在住とのことで、私の日の丸を甚(いた)く気に入ってくれた。
人影もまばらになり、制限時刻の1330も近くなってきた。ゴールの役員は撤収の準備を始めている。チームジャパンでは唯一人K林さんだけが姿を見せない。自転車を始めてまだ間も無いといい、心配が募(つの)る。皆でコースを凝(ぎょう)視(し)する。と、黄色いジャージが見えた。ゆっくりと確かなペダリングで大きくなってくる。K林さんだ!思わずみんなでコースを駆け下りた。並走しながら応援する。もちろん自分は日の丸を振る。ゴールからも声援が飛ぶ。最後の力を振り絞っているのが手に取るように伝わってくる。そして6時間32分の激闘を終え、感動のゴールを迎えた。聞けばハンドルに貼った婚約者の写真が励みだったとのこと。愛の力は偉大である。その後もう1名のゴールが認められたので、K林さんはブービー賞と相成った。
 

俺もお前もつはものだ

下山は自動車によることが義務付けられていて、主催者のワゴンに便乗した。ダウンヒルを楽しむことは出来ないが、たとえ自転車で降りられたとしても、疲れ果てたこの身ではとても危なっかしいに違いない。車でも1時間以上かかった。こんなに長い距離をよくもまあ上ってきたものだと、他人(ひと)事(ごと)のように感心した。
1600からはパイアの公民館で表彰式と抽選会を兼ねたパーティー(Awards Banquet)だ。スポンサーにスターバックス・コーヒー(Starbucks Coffee)とアウトバック・ステーキ・ハウス(Outback Steak House)がついており、ビール飲み放題ステーキ食べ放題ときたもんだ。ここぞとばかりに飲んだくれて食い倒れた。将来私がクロイツフェルト・ヤコブ病を発症したら、この旅行が原因だと思って欲しい。
結局自分は総合成績107人中29位(完走96名)、男子30〜39歳の部25人中13位で、想像以上にハイレベルのレースであった。参考までにトップのタイムは2時間51分50秒、平均時速12.57マイル(約20.1km/h)と、超人的である。自分の平均時速は9.77マイル(約15.6km/h)で、目標の4時間も切ったことだし、この距離と標高差にしては健闘したと思うことにしよう。また、ゴール直前に私を抜いて行った女性は女子のトップで、エリートではあるが結構なお歳であることも判明した。チームジャパンは全員完走、リレーの部に参加したハレアカラ・バイク・カンパニー(Haleakala Bike Co.)こと河村さん、I田ご夫妻の組が男女混合の部で見事優勝した。もっともこのクラスのエントリーは1チームだったけどね。

戰(たたか)ひすんで日が暮れて

公式行事がすべて終わり、選手が帰り始める。皆“See you again.”と云って去ってゆくが、自分にはそう云えないもどかしさがある。好記録を狙ってまた参加したいが、今回もかなり無理を押しての出場だった。もう一度出られるとしても、いつになることやら。一抹(いちまつ)の寂しさを胸に秘め、最後にチームジャパンで記念写真を沢山撮った。“Tokyo JOE’S”にも入ってもらい、記念に日章旗を差し上げたら大変喜ばれた。
夕闇が迫り、我々も引き上げることにした。レースの余韻(よいん)に浸(ひた)りながら、酔っ払い運転で1830頃にホテル帰着。翌日の出立に備え、荷造りしてから3人で祝杯をあげた。美酒とはまさにこのことなり。いつ眠ったのかまったく記憶に無い。

走行記録:距離81km・時間4時間42分・平均速度17.3km/h

 
         
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